満島真之介さんは身長が177cmある沖縄県出身の俳優です。
そんな高身長な満島真之介がバスケが大好きで、解説の仕事を受けたことから「満島真之介のバスケ愛が凄い!」と話題になっていました。
普段から楽しく会話をつなげる達人のような満島真之介にバスケの解説を頼んだら、面白いに決まっていますよね!
今回は満島真之介がバスケを好きになったきっかけはあるのが?を調べてみましたので興味のある方は見ていって下さい。
満島真之介が「モーニングショー」でバスケの解説
満島真之介さんは2023年9月1日放送のテレビ朝日系情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」にゲスト生出演しています。
その際に満島真之介さんが日本代表が快進撃を見せるバスケットボールW杯に関しての解説をする特集がありました。
特集はVTR込みで約1時間20分に及び、そのうちの約55分間にわたって試合の解説などを語る“激アツ”ぶり披露した。
スポーツキャスターさながらの話しぶりに、SNSは「松岡修造さんや世界陸上の時の織田裕二さんを越えるくらいの灼熱!」などと話題を呼びました。
その反響は満島真之介さんがレギュラーのバスケットボールの番組が出来てほしいという声が上がる程でした。
約1時間も話し続けれるなんて、よっぽどバスケが好きなんですね!
満島真之介の高校でのバスケの成績は?
満島真之介さんは2005年にコザ高等学校に入学しています。
コザ高等学校は県内屈指のスポーツの強豪校のひとつ。
この高校で満島真之介さんが3年生の時の2007年の沖縄県高等学総合体育大会(男子バスケの部)では準々決勝まで進んでいます。
参加高校の数を調べたところ、ブロックは4つに分かれ、63校が出場。
成績は県内ベスト8という事になります。
満島真之介の家族はバスケ一家だった
満島真之介さんは両親ともに体育の教師をしていて、さらにバスケの指導者である事が判りました!
特に父親の満島恵作さんは過去に勤務していたコザ高等学校を全国大会優勝まで導いたことがある、バスケの指導者でした。
そんな両親の影響を受け、満島真之介さんも小学1年生の時にバスケを始めています。
そこからはずっとバスケをしていたようです。
過去のインタビューでも「高校卒業までずっと体育館にいて、記憶は体育館しかない」というほど。
バスケは「衣・食・住」の間にもうひとつ「バ」があるぐらいな感じ身近な存在だったようです。
更に、満島真之介さんの実の弟である満島光太郎さんという方は元プロのバスケットボールの選手だったそうです!
満島真之介の弟はプロバスケ選手
弟である満島光太郎さんは満島真之介さんよりも4つ年下の1993年7月3日生まれです。
2009年に多くのバスケットボール選手を輩出している興南高等学校に進学しています。
高校最後にウインターカップ(県選抜)に出場し、2回戦で敗退こそしたが満島光太郎は試合に40分間フルで出場しチームに貢献しました。
2012年に拓殖大学に進学し、1年次に出場した新人戦では4位入賞に貢献しています。
翌年の2年次にはスターティングメンバーとしてオールジャパンに出場し2回戦まで進んでいます。
その時に「1対1に強い選手」と評されています。
2016年に海外でのプレイを目標にロサンゼルスに渡りトレーニングを行う。
7月19日、B3リーグのライジングゼファーフクオカと選手契約を結んでいます。
その後は2018年に東京サンレーヴスと契約を結びましたが、2019年1月には契約解除となっています。
プロを引退した現在は地元沖縄でSPICE バスケットボールスクールで子どもたちにバスケの指導をしています。
こちらのスクールは週4回の活動で4,400円とのことです。
沖縄県のバスケの歴史
沖縄県は米軍の影響もあり、バスケがとても盛んなのだそう。
その競技人口は全国1位の数で「バスケ王国」とも呼ばれています。
沖縄県は、アメリカ合衆国の統治下であったこともあり、多くのアメリカ文化が広がりました。
バスケットボールはその中の1つとして発展したそうです。
高校生や大学生が米国人との試合が行われるようになったのは、
1954年にコザ高等学校が嘉手納基地内に招かれたのが始まりとされています。
(→戦後が1945年なので9年後の出来事)
また当時、米軍基地向けに放送される米国の番組が、沖縄県のテレビ地上波でも放送されていました。
そのため、日常的にNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション)の試合を見ることができたのだそう。
本土ではテレビ観戦は野球かサッカーの割合が多く、競技人口は野球が1番であった。
しかし沖縄県ではバスケの試合中継を観ていたので、競技人口もバスケが1番になったという事のようです。
現在では沖縄県の公園の多くにバスケットゴールが設置されているのだそうです。
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